NY郊外の空間迷宮
NY郊外の空間迷宮


 マンハッタン島北部の広大な原生林公園、フォート・トライオン・パークに「クロイスターズ」という美術館がひっそりと佇んでいる。 ロックフェラー家がヨーロッパ各国から修道院の回廊部分を蒐集し移築した、かなり特異な建物だ。 場所、時代、様式、石の種類も様々な回廊が、パッチワークの様に繋ぎ合わされている。

 回廊はとても多様な空間だ。草木が茂る中庭は空に向かって解放された外部空間であり、中庭とアーチで区切られた周廊は、屋根はあるものの外気の入る、 外でも内でもない中間的な領域となっている。そして周廊から扉を開けて入る室内は、外気と遮断された内部空間である。

 この3重の入れ子状の空間構成が基本なのだが、クロイスターズでは回廊が繋ぎ合わされることで、内、外、中間領域がランダムに連続する不思議な空間となっている。 例えば、向こう側は室内だろうと思って開けた扉の先が中庭や屋外テラスであったりする。 中庭のはずなのに、床はタイル敷きでガラス天井がかけられた温室のような場所もある。徐々に内・外という定義も感覚も怪しくなってしまう。

 当時、建築の勉強を始めたばかりだった大学一年生の私に、この空間体験は強烈だった。旅行から帰った後も、私は想像の中でどこでもない多様で不思議な場所を探検して廻るのだ。 様々な季節の庭、怪物や神々の彫刻が施された列柱廊。色とりどりの花々、どこからか差し込む光。そこは静かで時間のない空間の迷宮であった。

 *     *

 現代の生活空間は、画一化と均質化が進んでいると言われる。都会も地方でも、コンビニでは間取りも売っているものも同じだ。 マンションも同様のことが言えるだろう。標準化された場所や形式が本当に生活の質を高めてくれるのだろうか。 バリアフリーという考え方も、段差をなくすエレベーターをつけるという機能面のみ表層的に理解されているように思う。 誰もが分け隔てなく経験や思いを共有できる空間というのが本質ではないか。そこには多様性があっていいはずだ。

 例えば、様々なバリエーションを持ち、その中から自分の居場所に巡り合うことができる空間はどうだろう。 近くに集まる者(きっと趣味嗜好が似ているかもしれない)が思いや経験を共有できる場所となるだろうか。 私は建築を考えるとき、いつも空間迷宮での体験がベースにあるような気がしている。