マイノリティのユートピア
マイノリティのユートピア


 どのような人も、マイノリティというレッテルを貼られることなく、多様な価値観が許容される社会について考えてみたい。

 もう十年近くも前のことになるが、留学先のロンドンで、ある映画を見た。それはミニシアター系と言われる単館公開映画だったが、 ストーリーもいたってシンプルで、あるカップルの週末数日の偶然の出会いから別れを描いたものだった。 そのカップルがゲイカップルであるという点だけがシンプルではない点かもしれない。 しかしストーリー中には、カミングアウトや差別のような一般的ホモセクシャリティ事案も大して語られず、 二人の恋模様のみがまるで当たり前のように、淡々と映し出される。

 私にとってそれはとても衝撃だった。異国の地に移って間もなくだった私は、ホモセクシャルとはロンドンでは普通のことなんだ、進んでるなあと思った。 暫く経って、必ずしも現状はそうではないと理解した時、ではあの映画は何だったのか、うまく言葉にできない違和感だけが残った。

 『断片的な社会学』(岸政彦)に、〝とても奇妙で、とても素敵な〟ブログが取り上げられている。かなり高齢のクロスドレッサー(異性装者)が、 日記風の短文と旅行先のスナップ写真をセットにしてブログにしているのだが、そのスナップ写真には、若い女性の服装をした自身のポートレイトを合成してあると言う。 写真の背景は変哲もない名所旧跡、文章も日常の穏健なもの、時事問題や芸能人の話題、昔飼っていたペットの話などで、 これらがOLや女子高生の姿で静かに微笑んでいるブログ作者の写真と、何の説明も言及もなく並んでいる。 いわゆるオネエ言葉を使うでもなく、異性装について熱く語るでもない「ですます」調の文章と合成写真が並んだこのブログは〝とても穏やかで豊かな感受性と優しいまなざしに満ちている。 これは、異性装が社会の中で何の違和感もなく普通であるという状態を、実際にやってみた個人的でささやかな、同時に勇気ある実験の記録だ〟と岸氏は指摘している。

 マイノリティと言うレッテルは、マジョリティ側から貼られるものだろう。現実の社会運動は、このマジョリティ側に対するはたらきかけ、 理解を求める闘いであるはずだ。対して、ロンドンで見た映画や異性装者のブログは、この闘いを初めから超越した夢の世界、 あるいはもはや差別との闘いが存在しなかった世界の表現であるのだろう。

 私はこれらを現実逃避だとは思わない。実際に起こっている辛く長い闘いの先に、実現するかもしれない世界、マイノリティのユートピアを語ってくれているのだと思う。